週刊朝日
1956年8月5日号 |
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キリスト教の絵なら西洋へ行けばいくらだってあるーーーといわれたことがある。
私にしてもそれを知らないことはないのだが、西洋でも時代と民衆によってキリスト像にいろいろ差があるように、フィルターをかけてみたキリスト像を描きたいと念願してのことである。
ピラトはイエスが死刑に値するような罪を犯したとは思っていなかったが、祭司たちの策謀に踊らされた群衆の声に負けてしまう。
「この人を見よ」とはイエスを指して群衆に呼びかけた言葉である。新しい聖書では、「みよ、この人だ」となおされている。
【行動美術協会会員。明治36年札幌で生まれ、神戸で育った。53歳。京都工高卒業後故前田寛治氏について油絵を学び。滞欧2年、はじめ二科にだしていたが行動美術の創立とともに移る。
現住所=東京都北多摩群久留米村、南沢学園町】
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週刊朝日
1961年10月
ストラスブルグの家
それが新築というのに古い中世の家と同じ形に作られているのだ。そのことをMさんに話したら、その地域にある家はそうする規則があるのだ、戸説明してくれた。つまり観光上の理由からと言うのだ。
たいてい木造で5階、6階もある。絵に描いてはおもしろいが、ひどくいたんで軒下を亨のも気味が悪い。アルザス地方特有な形で、毎日描きにでかけた。去年の今頃のことだ。 |
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「宗教画ばかり描いているといっても私は宗教そのものを買いたいのではないのです。あくまでもそこに現代に通じるものがあり、自分の生活体験となったものだけを描く。だから 着飾ったマリアなんて描きたくないし 奇跡を描きたいとも思いません」
聖書を主題に黙々と描き続けてきた田中忠雄氏は いってみれば”日本のルオー”。 しかしそこにあるものは 古典的な聖書の世界というよりも 田中さん独自の執ようなまでに重く描かれた祈りの世界である。
田中さんは明治三六年 札幌生まれ。 父親が札幌組合教会の牧師だったから 生まれたときからキリスト教的なフンイキに育ったわけである。二三歳で二科展に初当選。以後 二科に出品を続けていたのだが 戦後 向井潤吉 田辺三重松氏らとともに行動美術協会を創立して今日に及んでいる。
「戦争を体験して 戦中 戦後の占領下の日本の状況が聖書で語られているのと非常に似ていると感じて 戦後 集中的に描きだしたのでした。絵描きは四十代で技術的に出来上がってくるから四十代で戦争を迎えた私は よし これを描いていこうとその時思った・・・。
実直さのにじみ出た 穏やかな話しぶり。そして 彫刻家の掛井五郎氏は この田中さんから「激しい情熱に似た色彩が噴出するのは不思議なこと」であるといいまた 「一見大づかみに描かれているようであるが 人間という興味よりは 人間が持つ普遍的なものに 画家としての目が向けられている」と評している。
☆ ☆ ☆
次ページは東京・渋谷東急日動が画廊で十六日まで開かれている「現代の宗教美術展」への出品作<ゴルゴダの嘆き>(七十二.七×六十.六センチ)。ゴルゴダの丘の上で処刑されたキリストを悼(いた)んで集まった人々の悲しみと不安が 暗く激しい色と線によって物語られている。
カメラ・本誌 宮寺 昭男 |
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今週の表紙
キリストとエルサレムの女
田 中 忠 雄
この作品は,昨年の行動展に出品され
たものである.いうまでもなく宗教画。
しかし,かれの宗教画には,このジャン
ルにありがちな厳粛さをしいるところが
ない。明るく,力強く,確信にみちてい
る。
かれは,この年の春には「トマスの疑
い」を現代展に出品して優秀賞を獲得し
ているが,とにかく,このところ宗教画
に打ち込んでいる。
かれの作品をみていると,ステンドグ
ラスを思い浮かべる。かなり思い切った
色面の様式化,しかもその荒いタッチは,
古い時代の素朴なガラスのはだのようで
もあるが,しかし,その明るい色彩には,
ステンドグラスにみられる懐疑の影も,
畏怖の光もない.淡々として健康な生命
を讃えているようである。わたしは,そ
うしたかれの近代的な,しかも素朴な表
現の”骨っ節”を信頼したい。
いま田中は渡欧中である。ふたたびキ
リスト教の生まれ,はぐくまれた土地で
暮らして何を得て帰るか.それがたのし
みである.〈F30号) 〈浜村 頻)
たなか・ただお 1903年札幌市生まれ。京都高等工芸図案科卒業。前田寛治に師事。1916年から8年まで渡欧。行動美術協会会員。昨年再び渡欧。現在、パリ滞在中。留守宅=東京都北多摩郡久留米町南沢学園町73
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ペンチコステ
田中 忠雄
ペンテコステというのは第50を意味す
るギリシャ語に由来するユダヤの祭の名
称で五句節と訳されている。
この日,師を失ったキリストの弟子た
ちが集っていると,突然風のような音が
起って,一同は聖霊にみたされ,異言を
語りはじめたと使徒行伝は記している。
本来はユダヤ教の祭だったが,キリス
ト教では世界伝道の始められた日として,
クリスマスや復活祭とともに記念してい
る。今年は6月2日がペンテコステに当
り,この絵の構想も,そのころにはじめ
られたように思う。
不思議な霊感にみたされる弟子たちの
感動の表情をどんなに描いたらよいか。
使徒たちはみんなユダヤ人だったはずだ
が,わたしはわれわれの身近にいる人や,
日本の古い絵に出てくる顔を思い出しな
がら,好きなように描いた。
宗教画は本来は教義の解説という役割
をもって出発したものだが,作者の信仰
と感動がこれに加わってはじめて芸術作
品になり得る。だが感動だけが独走して
非具象的形式になった場合には,、宗教画
として重要な伝達の意味は失われるので
はないか,とわたしは思っている.
(162×130)
たなか・ただお1903札幌市生れ 京都高
等工芸図案科卒1916〜18年滞欧,1960〜61年
滞欧 行動美術協会会員 現住所=東京都多
摩郡久留米町南沢学園町73
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表紙=弟子の足を洗う10号
別に人物が得手だったわけではない。デッ
サンのまずいのは自分でも分っていた。だが
人物の構図がおもしろくて、二科展でもずっ
と人物画を出してきたし、行動になってから
も人物画ばかり。それも群像の構成が楽しい。
聖書による主題は戦後のことで、これは敗
戦後、何を描くべきかという自らの問いに対
する答として、少年の頃に覚えた聖句の回想
から始まった。信仰の告白というよりもキリ
スト教徒として良心によって画を作りたく思
った。そうでなければ西欧の名作に引ずられ
てしまうし、現代の宗教画としての意味もな
くなってしまう。
時に仏画なども見るのだが、これを自分の
画にとけこますのは容易でない。これからの
宿題だ。
〔略歴〕一九〇三年北海道生れ。二四年京都高等
工芸学校を卒業、前田寛治写実研究所に通い、三
〇ー三二年フランスに留学。以後二科会に出品、
四二年会貝となったが戦後四五年同志と行動美術
協会を興し会員となる。六〇年現代美術展で優秀
賞。国立近代美術館買上げ。六〇ー六一年欧米に
制作旅行。日本美術家連盟理事長を一期務め、現
在同理事。武蔵野美術大学教授。(撮影=伊藤隆夫) |
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